11月29日、この日は、鉄道史としても歴史的な日となったことでしょう。久大線の看板列車の1つであった「TORO-Q」の最終日でした。このトロQは2003年、湯布院地区の混雑緩和のために運行が開始されたトロッコ列車でしたが、いつしか湯布院を代表する観光車の1つとなりました。しかし今回、車両の老朽化などの影響で引退が決定しました。その様子を今回撮影してきましたので、ご紹介します。撮影技術が未熟のため、ぼやけた写真も多々存在しますがご容赦ください。
由布院駅で待機するTORO-Q。前面種別幕は「臨時」、運転台下にラストラン記念オリジナルプレートを付けた状態でした。
プレート部分を拡大。
さて、折角なので、私も乗車することにしました。普通の切符ではなく、記念乗車券2枚が渡されました。残念ながら曇りだったため、由布岳の姿を完全に見ることはできませんでした。
南由布駅にて。こちら側のキハ65 36は1989年にJR四国から譲り受けたものです。相方のキハ58 569とは窓や座席の形状などが異なっています。
客室乗務員さんからはこんな撮影サービスもありました。
そして正真正銘のラストランとなる由布院→大分間の出発前には地元の来賓の方々のご出席もあっての運行終了セレモニーが開催されました。
そして、由布院駅長と湯布院温泉旅館組合長による出発合図で最後のTORO-Q(正確には快速トロッコ列車)は発車。ただし種別幕は結局「快速」とならず「臨時」のままでした。
力強いエンジン音を響かせながら、由布院駅を跡にしました。
写真の車両はJR東日本か保有している189系です。189系は実質的に183系のバリエーションの1つで、車体構造も基本的に183系から変わりはありません。ただ183系との大きな違いは長野県と群馬県の県境にある碓氷峠を通過するために協調運転機能を搭載していることです。碓氷峠は最大で66.7%にもなる急勾配区間であるため、電気機関車に引っ張られないと通過できない難所であるため、そこを走る列車は台枠、連結器などを強化した通称「草軽対策」をし、列車そのものは無力で先述の通り電気機関車(EF63)に引っ張られ運転されていました。また、両数も8両までとされていました。そこで大量輸送を可能にするため、無力運転ではなく機関車と協調運転をすることで12両での運転を可能にするために1975年に登場したのがこの189系です。導入後すぐにその威力を発揮するために、当時はまだ在来線特急だった上野-長野・妙高高原・直江津間の特急「あさま」(長野運転所)に投入されました。国鉄時代にリニューアルがされ、座席部分を段上げするなどの工事が行われました。
しかし長野新幹線開業後碓氷峠は廃止され、189系は一部を除き親系列の183系と共に中央線で「あずさ」「かいじ」で使用されていましたが、E257系投入でこちらからも撤退。多くは老朽化などもあって廃車となってしまいましたが、現在でも松本~長野「おはようライナー」の他、土日は何と「ホリデー快速河口湖」として新宿駅にも定期運用で姿を現します。
この車両は既に豊肥線・久大線ではおなじみの顔となっているキハ200系です。1994年の長崎-佐世保間の快速「シーサイドライナー」の運行開始時に導入された車両で当時は青色(シーサイドライナー色)をまとっていました。基本番台で、トイレ付きの0番台とトイレ無しの1000番台で1編成を組んでいましたがこの11編成は2003年に1011が大村線内の踏切事故で廃車となり現在は代わりに新造された5000番台の5011と編成を組んでいます。なお、5011落成まで相方を失っていた11は現在でいうとキハ220系1000番台(1101)のような増結用として使用されていたそうです。5011と、同じく災害事故で廃車となった車両の代替として製造された5007は基本的な仕様は代替元の1000番台と同じですが、1000番台には無かった車椅子スペースが設けられているほか、乗務員室の構造がやや異なっています。
この車両は時期は失念しましたが、後に大分鉄道事業部に転属し、現在は赤色に塗り替えられて久大本線・豊肥本線などで走っています。また、長崎での走行実績があるためか、点検などで長崎のディーゼルカーが不足するときにもよく引っ張られていくようです。
1981年の登場以来、25年以上にわたって中央線快速のエースとして活躍してきた201系でしたが、2006年から下写真のE233系の導入が進み、現在は遂に予備車2編成のみ(T4、T7編成)となってしまいました。そしてこの2編成も、同線三鷹~立川間の高架化工事がまもなく終了し、その後同線から完全に引退する予定であることが既に東京新聞で報道されています。今年秋頃と記されていたので、今月で最後なのでしょうか?
写真は今年7月に撮影したものですが、私以外にも多くの鉄道ファンが訪れていました。私は国鉄通勤型車両の中ではこの201系が一番好きなので、今回の引退は非常に残念でなりません。恐らく、私と同じ思いを持たれている方は多いと思います。JR東日本では他に京葉線でも201系が活躍していますが、その京葉線にもE233系が来年夏に運転開始予定で、そちらも置き換えられる見込みになっています。しかしまだ、大阪環状線などでは大活躍中なので、103系共々、一日でも長い活躍を祈るばかりです。
この車両は中央快速線の主力中の主力であった201系のオレンジカラーです。1981年の登場以来30年近く中央線や青梅・五日市線で活躍してきました。しかし中央線は距離が長くまた103系の置き換えに時間を要したため代替が遅れていましたがついに新車であるE233系の投入が完了し既に青梅・五日市線からは運用を離脱しています。中央線では三鷹~立川間の高架化工事の影響で折り返し時に時間を要すため予備車としてH4編成とH7編成が残存していますが今年秋に工事が終了するとこの2編成も離脱する予定だそうなのでいよいよ中央線から201系が消える日も近づいてきたといった感じでしょうか。私はオレンジ色の201系は大好きなのでかなり寂しいです。ただ大阪環状線にはまだいるので完全に消滅したというわけではなさそうです。
今回は、鹿児島市交通局内にある、「市電博物館」を紹介します。博物館内には、昔の市電の車両の部品や使用していた物などが置かれています。
入口のすぐ裏には、2007年4月のユートラムⅡ(7000形)の運行開始記念の様子の写真がありました。その下には巨大な鍵がありますが・・・式典の時に使ったのでしょうか・・・?
こんな旗も発見。これは初代ユートラム(1000形)落成記念の旗と思われます。旗にも書いている通り、1000形は日本初の超低床電車という記念すべき車両です。こういったことはまさに鹿児島市交通局にとっての「誇り」にもなっているのかもしれませんね。
こちらは菱形パンタグラフの模型(6/1縮小)です。現在は採用されていませんが、かつての電車のパンタグラフは殆どがこの形でした。
これはかつて鹿児島市電にいた700形連接車(元大阪市電)の運転台の一部です。既にこの頃は電車は自動加速式が採用されていたようです。ちなみにこの車両、1994年の引退までワンマン化はされず、車掌が乗務していました。
現在は廃車となっている500形515号車の車両番号プレート。500形は東洋工機で製造されたのに、何でナニワ工機になっているのかと思う方もいると思いますが、これはワンマン化改造された時にこの車両が車体更新され、その更新メーカーがナニワ工機だったからです。
昭和44年当時の運賃表です。当時の市電の運賃は26円だったそうです。下の「電車内では懐中物にご用心下さい」の表記が懐かしい・・・?
ワンマン運転開始当初の両替機と運賃箱です。現在は全て機械化されてこれらはお役ご免となっていますが、今後も路面電車の歴史を伝えていくためには貴重な物になりそうです。
こちらはかつての市電の行き先サボプレートです。今は全部で2系統のみになっていますがかつては13系統もあったそうです。
これが現在の在籍車両一覧です。最も多いのは9500形で、15両あります。超低床電車も全部で13両にまで数を増やしてきています。
なお、この市電博物館は、毎年秋に交通局で開催される「ゆ~ゆフェスタ」の時に一般公開されているほか、事前に電話をしておけば見学もできるようです。
この車両は阪急電鉄の高性能電車2000系一族の京都線版2300系です。この後7000系までの車両は全てこのような形で阪急の基礎とも言える車両です。また定速運転機能を持ち非常に高性能であったことから「電子頭脳車両」の愛称も付いていました。そして1961年にローレル賞を受賞しています。
しかし後に冷房化が行われた際に制御装置もなくなってしまいました。また、更新工事が進み、引退も進んでいるため、前面に行き先プレートを掲げて走る登場時からの姿が見られるのは写真の嵐山線の2309編成のみになっていました。
残念ながらこの2309編成も現在は廃車になってしまっています。そのため現役で活躍する登場時からの顔の車両は全て姿を消してしまいました。現在はトップナンバーの2301号が正雀車庫で保存されています。
この車両はJR九州の485系200番台です。200番台といえば前面の貫通扉が特徴でしたが現在は塞がれています。485系は国鉄特急の代名詞とも言える車両で全盛期は北は旭川、南は鹿児島まで活躍していました(現在でも鹿児島では運用中)。ボンネット型から現在の顔まで多数種類があり、ファンが非常に多い車両でもあります。
現在JR九州での485系の運用は特急「にちりん」「きりしま」「ひゅうが」とその他少数の臨時列車となっています。また当然ですがボンネット型は全車が引退しています。グリーン車を連結した5両編成「RED EXPRESS」と3両編成「KIRISHIMA&HYUGA」塗装が在籍しています。
写真は2000年改正で1編成のみ復活した国鉄色です。しかし運転台下両側の銀帯は再現されていないためやや異彩を放っています。
※余談
「SMAP」の草なぎ剛が逮捕!地デジキャラにも選ばれていたことで有名ですが、総務省によると、「CM放映は中断し、ポスターも作り替える」とのことですが、一体どうなることやら・・・少し心配です。
所用で大分から亀川までJRを利用した際偶然にも811系に乗車できたので改めてご紹介します。811系は元々は門司港~宇佐・荒尾・早岐までの福岡都市圏のみで走っていましたが今年のダイヤ改正で大分地区の佐伯まで足を伸ばすようになりました。かつて主力だった415系は通勤通学での大量輸送を考慮してロングシートを採用した車両が多かったのですがこの車両以降は快速列車のサービスアップを目標にして導入されたためか転換式クロスシートになっており大分地区のボックスシートの415系より座り心地はいいと思います。しかし大分地区の日豊線で転換式シートは初で他のお客さんも慣れていないのか写真のように進行方向と逆になったままになっている座席も結構あります。また、1号車(南向き先頭車)にはトイレが設置されています。
側面の方向幕です。この時は杵築行きの運用に入っていました。幕は元々からあったようです。
運転席はこんな感じです。
こんなプレートも発見。普通列車なのでもちろん「自由席」になっていますが、臨時運用時などに「指定席」にすることもあったのでしょうか・・・?
この車両はJR九州が初めて導入した一般型電車で赤系の派手な車両が多いJR九州の車両の中ではかなり落ち着いた雰囲気の車両です。この車両は今まで福岡・北九州都市圏のみを走っており日豊線では宇佐より北でしか走っていませんでしたが今年のダイヤ改正で写真のように大分地区の佐伯まで足を伸ばすようになりました。大分地区は今まで11編成ある815系が主力をなしていましたが中津までワンマン区域が広がったため車両が足りなくなったのかこの車両が入るようになりました。ただし所属は北ミフのままです。
なお、大分地区での811系の運用は次のようになっているようです。
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